Tuesday, December 7, 2021

ア メ リ カ 小 説 と 批 評 の 研 究 巽 孝 之.indd

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ア メ リ カ 小 説 と 批 評 の 研 究
巽 孝 之
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人文学の不振という噂とともに文科省による人文学廃止ないし再統合案が叫ばれて早五年.当時は,かくなる風評被害を振り払うべく我が国の英米文学者たちが立ち上がり,日本学術会議でもシンポジウムが組まれたものだ.しかし現在,ことアメリカ小説と批評の研究分野における限り,そんな噂自体がフェイクニュースだったかのように,毎年充実した業績が和英双方で積み重ねられている.2018年度も例外ではない
(数冊の 2017 年度刊行書を含むのは,こうした積み残しも出るほどにこの分野が豊穣だからである).
まず作家論の単著から年代順に始めると,このところ毎年のように力作を刊行している西山智則の『エドガー・アラン・ポーとテロリズム―恐怖の文学の系譜』(彩流社,2017 年 6 月 10 日)はマーク・シルヴァーの比較探偵小説論『盗まれた文学』The 
Purloined Letters( 未訳)を思わせるモチーフにより,アメリカ・ロマン派作家ポーがメルヴィルやトウェインからスティーヴン・キングへ至る文学史のみならず,『キング・コング』や『ジュラシック・パーク』などの映画,さらにはマイケル・ジャクソンのようなショウビジネスにまでいかに遍在しているか,その傾向が9.11同時多発テロ以降「恐怖」が膨張する21世紀にあっていかに強まっているかを説く.その意味で本書は今日望みうる最良の文学入門書である.
ポーの影響が濃厚なロシア系亡命作家をめぐる秋草俊一郎の『アメリカのナボコフ ―塗りかえられた自画像』(慶應義塾大学出版会,2018 年 5 月 30 日)は徹底した作品研究を行ってきた著者による一種の批評的伝記.ジョージ・スタイナーが 1971 年に発表した『脱領域の知性』(Extraterritorial)においてサミュエル・ベケットらとともに多言語作家として定位され,『青白い炎』(1962年)がラリー・マキャフリーによって「20 世紀最高の英語文学」と賞賛され,1960 年代のアメリカ文学に「ナボコフ朝」
(本書 205 頁)をもたらした作家は,しかし『ロリータ』(1955 年)の成功以後は英語作家に転向してしまい「ロシア文学にとっては大きな損失」と見られるばかりか初期の出版社とも離別せざるを得なかった.そうした周縁的経緯が,この著者にかかると,ナボコフ文学の本質に肉薄するのだから興味深い.
そのほかでは,佐藤光重がヘンリー・デイヴィッド・ソローの名著全18章を読むためのヒントを満載して初心者にもわかりやすく書き下ろした『「ウォールデン」入門講義』(金星堂,2019年2月8日),大社淑子がヘンリー・ジェイムズとの交友で知られる女性作家の文学史的意義を徹底探究した『イーディス・ウォートンを読む』(水声社,2018年6月20日)と鴻巣友季子が昨今ではフォークナー『アブサロム,アブサロム!』(1936年)との同時代性を検討されているマーガレット・ミッチェルの代表作を主として人物関係から再検討した『謎とき「風と共に去りぬ」―矛盾と葛藤にみちた世界文学』(新潮社,2018年12月25日)が,それぞれ読みごたえがあった.矢口裕子の『アナイス・ニンのパリ,ニューヨーク―旅した,恋した,書いた』(水声社,
2019年1月15日)は論じられることの少ない女性作家ゆかりの地へ著者自身が足を運びエッセイと美しい写真で綴った絶好のガイドブック.
作家論の共著としては,堀内正規編で日本ソロー学会が総力を結集した英文共同研究Thoreau in the 21st Century: Perspectives from Japan( Kinseido, 2017)がエマソン論やオルコット論,ホーソーン論も射程として全 19名が寄稿するアメリカン・ルネッサンス研究だが,ソローに限ると伊藤詔子による核戦争時代の『市民的不服従』再読を筆頭に山口敬雄のソローに見る反知性主義分析,小野美知子によるソローと南方熊楠の比較研究などが斬新な視点で読ませた.
花岡秀監修,藤平育子・中良子編『フォークナー文学の水脈』(彩流社,2018 年 9 月 25 日)は,フォークナーを基軸にしてメルヴィル,トウェイン,ヘミングウェイやフィッツジェラルドのみならずウェルティやコールドウェルやトマス・ウルフ,リチャード・ライト,コーマック・マッカーシー,アルベール・カミュ,果ては太宰治に至るまで,一体どこまで広く多様に世界文学的な「水脈」を広げることができるかを試す,総勢 15 名による極めて実験的な共同研究.何しろ監修者の序文からして,フォークナー自身の有名な「アクチュアル」の概念と対比される「アポクリファル」の概念を引き合いに出し,そこでは人々を「空間の中だけでなく時間の中でも,まるで『神のように』あちこち動かすことができる」という定義を借り受け,フォークナーに連なる「水脈」の「水質」を吟味するという本書の方法論を詳らかにし,そこでは何と中上健次のみならず倉橋由美子までもが対象とされているのだから.
文学史的研究の単著では,まず福井崇史の『外見の修辞学―一九世紀末アメリカ文学と人の「見た目」を巡る諸言説』(春風社,2018年2月26日)が世紀転換期に「見た目」から人種・性差・階級といった「中身」を判断しようとしながら往々にして裏切られることも少なくないリアリズム的思考法を中心に文学史を読み替える。その際,エイミー・カプランやエリッサ・グリーンウォルド,ロバート・シュルマン,マイケル・ベルといった先行する理論家に野心的に挑戦しつつ,リアリズム文学を「地上的な動因によって動かされるプロットを備え,作中人物を含む表象対象を地上的な比喩形象を用いて綴った文学作品」と再定義して,イグネイシャス・ドネリーからホレイショ・アルジャー,マーク・トウェイン,アプトン・シンクレア,スコット・フィッツジェラルドまでを再検討し,最終章では「オバマは黒人ではない」とする言説の発生基盤を掘り下げ,文学史と文化史が不可分である必然性を説く.
他方,稲垣伸一の『スピリチュアル国家アメリカ―「見えざるもの」に依存する超大国の行方』(河出書房新社,2018 年 8 月 30 日)は,全く対照的に天上の世界を前提にした上で地上のユートピア思想がいかに発展したかという視座から,シェイカー教祖からナサニエル・ホーソーン,ハリエット・ジェイコブズ,ウィリアム・ディーン・ハウェルズ,さらには映画監督M・ナイト・シャマランにまで範囲を広げ,昨今ではわが国でも流行のスピリチュアリズムがいかに宗教的政治的要請から発生したのかを読み解く.とりわけ奴隷解放運動やフェミニズムがいかにスピリチュアリズムと連動したのか,その文脈の解析は鋭く,新歴史主義批評のデイヴィッド・レナルズの名著
『アメリカン・ルネッサンスの地層』(1988 年)の到達水準を更新する業績と言える.極東を睨んだアメリカ文学研究としては中村理香の『アジア系アメリカと戦争記憶 ―原爆・「慰安婦」・強制収容』(青弓社,2017 年 7 月 31 日)が,日本の戦争加害について語るのがますます困難になっている日本語空間において,在米コリア系作家ノラ・オッジャ・ケラーの『慰安婦』(1997 年)やチャンネ・リーの『最後の場所で』(1999 年)が描き出す従軍慰安婦問題,日系カナダ作家ジョイ・コガワの『おばさん』
(邦題『失われた祖国』,1981 年)が物語る強制収容所問題の意義を克明に浮き上がらせた力作.
批評史を深く意識した吉田朋正『エピソディカルな構造―〈小説〉的マニエリスムとヒューモアの概念』(彩流社,2018 年 8 月 20 日)はそのタイトルをレイチェル・ボウルビーによる新歴史主義批評の名著『ちょっと見るだけ』(原著1985年)から取り,サブタイトルをグスタフ・ルネ・ホッケの『文学におけるマニエリスム』(原著 1953 年)に負っている.「エピソディカルな構造」(ボウルビー原文では “the episodic structure”)とは,ジョルジ・ルカーチがバルザックやディケンズ,トルストイらのリアリズム小説を人生の内的詩情と人間のさまざまな闘争を徹底して複合的に描いたものと高く評価しつつ,一方の自然主義小説は中産階級作家が生き生きとした関係性や変革の可能性が一切失われた世界をただ受動的に観察し幻滅しているのを映し出すに過ぎないと断じた議論に端を発している.彼の見る自然主義小説の展開は「あたかもバラバラの静止画像を表面的に何も考えずでたらめに並べたようなもの」なのだ.こうした小説観を前提に,本書はマニエリスム的伝統からモダニズム再評価,ポストモダニズム的自己言及へ及ぶ精神史的脈絡を記述する.第一部「批評のハードウェア」と第二部「フラグメンタ・リテラリア」の射程はカントからコールリッジ,プラーツ,
T. S. エリオット,ピランデッロ,ポール・ド・マン,ガダマー,ヴァレリー,マクルーハンにまで及ぶが,しかし最も読みごたえがあるのは百ページを超える最終章「モダンの二よ重り螺い旋と 」だ.『アクセルの城』などの名著で親しまれる文芸評論家エドマンド・ウィルソンと,フォークナーを始め多くのアンソロジーを編んだ『ロスト・ジェネレーション』の著者マルカム・カウリー,そして『動機の文法』など重厚な批評と哲学から社会科学まで真に学際的な射程を持つケネス・バークの三名が,順に歴史と編集と理論を代表する批評家としていかに相互作用していったかを綴るダイナミックな筆致は圧巻.
英文単著としては,気鋭のアメリカン・ルネッサンス学者・古井義昭(Yoshiaki 
Furui)の第一著書 Modernizing Solitude: The Networked Individual in NineteenthCentury American Literature( The University of Alabama Press, 2019)が “solitude” と “loneliness” さらには “isolation” の諸概念の関係性を思索する独特の角度からメルヴィル,ソロー,ディキンソン,ジェイコブズ,ヘンリー・ジェイムズといった19世紀作家たちのテクストをまずはじっくり緻密に分析し,彼らないし彼女たちがいかに孤高を気取り時に隠遁しながらもその実,郵便や電信などコミュニケーション手段を痛烈に意識していたか,その逆説的な構図をみごとに炙り出す.マーシャル・マクルーハンやフリードリッヒ・キットラーらのメディア理論,デイヴィッド・リースマンの群衆理論からワイ・チー・ディモクの惑星思考的な「深い時間」理論を自家薬籠中のものとしながら,最後には何とスパイク・ジョーンズ監督の21世紀映画Her(2013年)の描く孤独な人間と AI の馴れ初めにまで主題の今日的跳躍を成し遂げてみせる展開が心憎い.イギリスのノンフィクション作家トム・スタンデージの名著『ヴィクトリア朝時代のインターネット』(1998年)やコーネル大学教授キャロライン・レヴィーンが 2015 年に上梓して PMLA でも特集された Forms: Whole, Rhythm, Hierarchy, Network を彷彿とさせる,まさに IT 革命,SNS 到来以後のアメリカン・ルネッサンス研究の誕生である.
もう一冊の英文単著はフランス系アメリカ文学者として長く黒人文学を研究してきたラファエル・ロンベール(Raphaël Lambert)による第一著書 Narrating the Slave 
Trade, Theorizing Community( Brill / Rodopi, 2019).ポール・ギルロイやジョルジョ・アガンベン,ジャン = リュック・ナンシーらの批判理論を援用し,いわゆる三角貿易で培われた奴隷貿易において意外なことながら構築されていた共同体のヴィジョンに的を絞り,プロスペロ・メリメの『タマンゴ』やアレックス・ヘイリーの『ルーツ』,チャールズ・ジョンソンのズバリ『中間航路』,バリー・アンズワースの『聖なる渇望』など欧米作品を精読した成果である.そこでは,奴隷のみならず奴隷船船長や造船業者,保険業者,投資家に至るまでが巨大な商業取引機構の歯車として相互依存しながら回転し続けており,そこでは人間的主体の介在しないところで利益追及ネットワークが四方八方に拡散しているというヴィジョンは洞察力にあふれる.
同じ 2018 年度には,拙著も二冊出ているので触れておく.
一つは,Young Americans in Literature: The Post-Romantic Turn in the Age of 
Poe, Hawthorne and Melville( Sairyusha, 2018).2018 年 6 月に京都ガーデンパレスで開催された国際ポー & ホーソーン会議に合わせて刊行された英文単著.カントの先験哲学からコールリッジのロマン主義的理想的平等社会論を,ひいてはエマソンの超越主義思想を関連付け,環大西洋的なアメリカン・ルネッサンス論を導くという長年構想してきたヴィジョンを序論に据え,過去 30年間に執筆したポー,ホーソーン,メルヴィル,ソロー,ディキンソンをめぐる各論のうちから国際的意義を持つであろう論考を厳選して加筆改稿を施した.
もう一冊は,『パラノイドの帝国―アメリカ文学精神史講義』(大修館書店,2018 年 11 月 22 日).筆者の専門はアメリカ・ロマン派だが,2013 年にはロマンティシズムとモダニズムの連動を分析した『モダニズムの惑星―英米文学思想史の修辞学』
(岩波書店)を上梓したので,次にはポストモダン文学論をまとめたいと思っていた.折も折,トランプ政権が勃興して,リチャード・ホフスタッターの反知性主義理論やパラノイド理論,ポピュリズム理論を読み直す好機が訪れたため,それらを方法論的基礎として,本書ではレイ・ブラッドベリからフィリップ・K・ディック,ケン・キージー,サミュエル・ディレイニー,スティーヴ・エリクソン,さらにはドン・ウィンズロウに至る 60 年代対抗文化の落とし子たちを再検討した.
文学史研究の共著では,年代的にも内容的にも群を抜くのは倉橋洋子,高尾直知,竹野富美子,城戸光世ら日本ナサニエル・ホーソーン協会の重鎮たちによる共編著『繋がりの詩学―近代アメリカの知的独立と〈知のコミュニティ〉の形成』(彩流社,2019 年 2 月 19 日)であった.アメリカ独立革命前後を扱う第一部はニューヨークの魔女狩りが炙り出す白人コミュニティの脆弱さ批判から始まり,アメリカ哲学協会やフレンドリー・クラブが素描され,アメリカン・ルネッサンス期を扱う第二部ではボストン博物学協会やボストン知識人が集結したサタデー・クラブ,ロングフェローの翻訳集団ダンテ・クラブが,同時期のフェミニズムを扱う第三部ではフラーの会話集会やブルック・ファームなどユートピア共同体が,メルヴィルの周辺に絞った第四部ではヤング・アメリカ運動の共同体が,そして以後の展開を扱う第四部ではボストン知識人の機関誌とも言える『アトランティック・マンスリー』誌を中核にした知的共同体が,さらにはアメリカン・ルネッサンスを初めてイギリスに移植した社会主義運動の共同体が,それぞれ詳細かつ鋭利に考察されて行く.この方向性に前掲ロンベールの奴隷貿易が内包した呉越同舟的共同体の理論を掛け合わせれば,これまでにないアメリカ文学史が構築されることだろう.小谷耕二編『ホームランドの政治学―アメリカ文学における帰属と越境』(開文社出版,2019年3月28日)はブッシュ政権からトランプ政権に及ぶプロセスにおいて国土安全保障省が創設され,米墨の壁が強化される時代に鑑みてアメリカ文学史を再検討する試みである.日本アメリカ文学会九州支部の手練れを中心とした七篇の論考はソローやトウェイン,フォークナー,カレン・テイ・ヤマシタ,さらには SF 映画までを扱って危なげがないが,ここは一編でいいからアメリカ先住民文学の考察がどうしても欲しかった.私がブッシュ政権時に購入したTシャツには銃を構えたインディアン4名の写真とともに,ズバリこう書かれていたからである.“Homeland Security: 
Fighting Terrorism Since 1492.”
山口和彦,中谷崇共編『揺れ動く〈保守〉―現代アメリカ文学と社会』(春風社,
2018年9月13日)も同じくトランプ政権を鋭利に意識した共同研究であり,ウィラ・キャザーやトニ・モリスン,カーソン・マッカラーズからコーマック・マッカーシーまで,10名の寄稿はそれぞれ力作論文だが,とりわけ遠藤朋之が保守的表現の複合性に着目した「ブルース・スプリングスティーンの複眼的視線」と渡邉真理子がボビー・アン・メイスンの中に南北戦争と冷戦を重ね冷戦ノスタルジアとでも呼べる現象を掘り下げた「戯れるアトムとイヴ」,そして渡邉克昭がポストモダン作家ドン・デリーロの中に「生命の保守」なる問題意識を読み取る「囁き続ける水滴」の三編を面白く読んだ.
最後に藤野功一編『アメリカン・モダニズムと大衆文学』(金星堂,2019 年 3 月 31 日)は,モダニズムがパルプ雑誌やペーパーバック小説の勃興期と合致していた点に着目した共同研究であり,日本アメリカ文学会九州支部を中心に企画され,九編の論考を収める.中ではモダニズムの女帝と有名人文化および探偵小説趣味を辿った早瀬博範のガートルード・スタイン論,編者自身が女性ハードボイルド作家ミルドレッド・ギルマンとの相似を浮き彫りにしたフォークナー論,そして樋渡真理子がマルカム・カウリーが大衆文化的な「切り売り」を戦略とした『ポータブル・フォークナー』の成功の秘訣を分析した文学教育史の三編に啓発されるところが多かった.
なお,極めて実験的な批評的創作,創作的批評の試みとして吉増剛造,フォレスト・ガンダー,堀内正規による『裸のcommonを横切って―エマソンへの日米の詩人の応答』(小鳥遊書房,2019 年 3 月 25 日)を挙げておこう.本欄はもともと学術研究の成果を紹介する役目を負っているが,しかしこの書物には19世紀超越主義思想家にしてアメリカン・ルネッサンスの精神的指導者と呼ぶべきエマソンを中心に,日米を代表する詩人たちが自伝的背景を盛り込んだ新たな作品を創造し,そこへさらに第一線のエマソン学者が批評的解釈を紡ぎ出すという,インターテクスチュアルにしてトランスクロノロジカルな文学的実験が行われている.本書がいかなるカテゴリーに属するのか,名前はまだ存在しない.強いていえば,アメリカ黒人文学研究の巨匠ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアの造語“autocritography”が一番近いだろうか.ここから新しい何かが生まれることを祈ってやまない.
なお,2018年度の日本アメリカ文学会第9回新人賞はMichiaki Ogura, “Dreaming the Remotest Future: Hermeneutic Friends in Thoreau’s A Week on the Concord and 
Merrimack Rivers”( The Journal of the American Literature Society of Japan, No. 17 掲載)に,第 3 回日本アメリカ文学会賞は前年度本欄でも扱った里内克巳『多文化アメリカの萌芽―19~20世紀転換期文学における人種・性・階級』(彩流社,2017年)に決まった.
(慶應義塾大学教授)





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