Tuesday, December 7, 2021

Blog版Tea Garden 最後の場所で/チャンネ・リー

Blog版Tea Garden 最後の場所で/チャンネ・リー


Blog版Tea Garden

内外の小説やファンタジー、児童文学ほか濫読の読書記録。
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最後の場所で/チャンネ・リー
最後の場所で
チャンネ・リー
My評価★★★★★

訳:高橋茅香子
新潮社CREST BOOKS(2002年1月)
ISBN4-10-590028-5 【Amazon
原題:A Gesture Life(1999)

実のところ、あらすじは紹介したくないんですよ。先入観を持たないで読んでほしいと思うから。でもそれではどんな作品かわからないので、さわりだけ。日本人が読むにはきつい小説ですが、先入観をもたないで読んでほしいです。

ニューヨーク郊外の小さな町ベドリー・ラン。そこでに暮らす壮年のフランクリン・ハタ。
人々がうらやむほどの屋敷に住む彼は、成功した礼節ある日系アメリカ人として尊敬・信頼され、親愛の情を込めて「ドク・ハタ」と呼ばれている。だが養女のサニーが彼のもとを去って長い時が経つ。
親切な不動産業者のリブ・クロフォードと恋人のレニー。業病の息子を介護するヒッキー夫人。かつて親密な関係となったメアリー・バーンズとの思い出。息子を連れて町に帰って来たが、ドク・ハタに会おうとしないサニー。
事件はあるけれども、全体的には穏やかなベドリー・ランでの日々。ドク・ハタは平穏を求め諍いを好まず、人々との生活のなかに埋没することを望んでいた。
しかし、彼の心にはいつも暗い影が潜んでいた。
彼は日系アメリカとして知られているが、実は在日コリアンとして日本に生まれ、日本人の養子となり、日本兵として従軍したのだった。そして、かつて前線で同胞の慰安婦Kを愛した。Kの記憶に苛まれながらも、ドク・ハタは自分の居場所を求め続ける。

********************

チャンネ・リーは1965年にソウルに生まれ、3歳のときに家族共々アメリカへ移住した韓国系アメリカ人。
本作は、第二次世界大戦中、日本兵のために「慰安婦」として強制的に奉仕させられた若き韓国人女性の悲劇が、アメリカで成功して壮年となったドク・ハタによって語られる物語。
外国人作家による日本人の言動には違和感を覚える箇所も多々あるけれど、ストーリーには影響ないと思います。
抑制の効いた端正で誠実であろうとする筆力、それを訳者が丁寧に訳しているので好感がもてました。こうした作品を描き切ってみせた作者の若さに驚きます。

作者は、慰安婦とはどんな存在だったのか、彼女らはどんなことを強制させられたのかを、ドク・ハタを通じて語っています。
私は最初、ドク・ハタという人間がよく理解できませんでした。
彼は裕福で親切で人に好かれているけれど、周囲から尊敬されたい、ひとかどの人物として認められたい、人には親切にしたいが深くは関わりたくない、という体裁を求めている人物に思えたのです。まあ、誰もが嫌われるよりは好かれたいでしょうが、そんな気持ちがあまりにも露骨なように思えたんです。
反面、70歳を越えたいまも罪の意識に苛まれ、贖いたい、過去を清算してもう一度やり直したい、出来れば自分という存在を抹消したいとさえ願っている。長く暮らしたベドリー・ランに愛着はあるが、異邦の地であったと完全にはなじんでいないのてすね。
暗い過去をもつことと異邦人であることの二つによって、見かけは平凡でも内面は複雑で、ときには自己中心的で矛盾しているようでもあります。だが、一人間の内面では様々な感情の相克があり、、そんな複雑な感情、虚栄心や傲慢さ、弱さ脆さ卑屈さも含めて、正直に表わしていると思うのです。

理知的であり毅然としているようでも不安に駆られ、極度に秩序を求めて下仕官に体罰を与える小野大尉。不安と緊張、絶望から精神に失調をきたす遠藤伍長。凌辱より死を願うK・・・。
だが作者は安易な同情や戦争批難を巧妙に避けているような。私には作者の姿勢はとても理性的に思えます。極限状態であっても失ってはいけない人間性とは何か、というところに作者は焦点を絞っているのではないでしょうか。戦争そのものは批難されるべきですが、手を下すのは人間だからです。

正直に言って戦時中のシーンには気が重くなり、なかなか読み進められませんでした。しかし、現在の生活と交互に過去の再現されるため明暗・陰翳が際立ち、ドク・ハタという人間の深淵が伺える。
ラストでの、忘れたいけれども忘れてはいけないことを抱えながら、希望をもって生きようとするドク・ハタの姿に救われます。
現在は日本人の多くが、戦争中に実際に何が起こったのか、朧げには知っていても正確に把握していないように思います。時が経つにつれて事実を検証するのが難しくなっているのに、忌まわしい出来事として記憶(記録)を葬ってしまったように思われてならない。
謝罪ばかりに気をとられ、同じ過ちを繰り返さないように、事実を検証して正確に後世へ伝えることを怠っているのではないでしょうか。そんな状況だからこそ、この作品の意義は大きいと思うのです。(2002/6/8)

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