Wednesday, July 10, 2013

分裂した自己とモンダンヨンピル

大阪府 呉 光現さんのウォールからシェアしました(H)

【分裂した自己とモンダンヨンピル】=今、思う事
長文です。関心のない方はとばしてください。

昨日、朝鮮学校を支援するモンダンヨンピルコンサート in Osakaに行った。
本当に胸がバクバクした時空間を過ごした。
分裂している自己を思わずにおられない。

韓国という記号はカンコクには違和感があり、ハングックにはすっと入る。逆に朝鮮という記号に対してはチョウセンは素直に受け入れつつもチョソンには抵抗感がある自己がある。
韓国から来たモンダンヨンピルの仲間たちが朝鮮学校の学生を主人公にして一時のイベントを打った。彼らは「遠足コンサート」と言う。とてもホッとするネーミングだ。

昨年、仕事帰り夜の9時頃に朝鮮高級学校の生徒たちが鶴橋駅頭で高校無償化の適用を訴える署名活動をしていた。「がんばりや」とはとても声をかけられなかった。「僕たち大人たちの力不足でゴメンね」と思うのが精一杯だった。夜の9時の高校生なら勉強・友との語らい・家族と一時、又はアルバイトが一般できなのにこのことをさせている僕も含めた社会に対して無性に怒りが込み上げてきたのを覚えている。

韓国・朝鮮という記号と民族教育機関がわたしたち在日同胞にとってはひと言で語り尽くせないものがある。初めてFBで書くが、阪神教育闘争で死亡した金太一少年の妹は私の叔母である。すなわち金太一少年は生きていたら叔父と読んでいた人物である.それを知ったのはほんの5年前、済州4・3事件60周年の大きな取り組み、職場の移転等で強烈に忙しかった僕にとってどうして良いか分からない出来事であった。それから4・24阪神教育闘争の時期になると金太一少年のことが情報として流れることに少し嫌悪感がある。

さてこの「記号」であるが私にとってはいくらかの変遷がある。子どもの時はちょうせん、途中から南を指すときはかんこくになる。いつのまにはちょうせんは体制としては北側、歴史・地理・地勢的には半島全体を指す言葉になった。80年代から韓国にいくようになっていつの間にかそれなりに韓国語の読み書きも結構できるようになった。韓国では韓国語で話す。いつの間にか朝鮮語からハングッゴに移っていった。たぶんそこから自己分裂が始まったのではないだろうか?

昨年3月にたまたまソウルにいてモンダンヨンピルの最終回のコンサートに行った。とても楽しんで韓国でモンダンヨンピルを楽しめたのは幸運だった、と思っていた。しかし今回と決定的に違ったのは当事者がさらけだされた空間だったことだ。生きる力を奪われようとしている子どもたちのはしゃいでいる姿が、それだから胸が痛かった。自分は当事者でないかの如く生きている姿を自分で見るのがたまらなく嫌になったのである。

3人の娘は韓国系の建国という民族学校にいった。素晴らしい教育内容に子を持つ親としてとても満足している。僕がかつて持っていた「日本名」も娘たちはもちろん持っていない。名前は一つである。そういった点では朝鮮学校も建国もそして金剛学園や京都の国際学園、コリア国際学園も根は一緒だと思っている。
しかし、僕たちの大切な子どもたちである朝鮮学校の子どもたちだけが生きる力を奪われようとしている。それに対して「記号」分けて、自己分裂している自分がそこにいる。

昨日、モンダンヨンピルで韓国・在日・日本というそれぞれの共通と相違が有る人たちが集まった。進行役の俳優の権海孝さんの素晴らしい思いと熱のこもった司会。朝鮮高校の学生も舞踊、歌を披露し韓国のアーティストと楽しく踊ったりした。うちの娘たちと変わらない普通の子どもたちだ。その子どもたちが危機の状況に置かれている。まさに教育権そのものが奪われようとしているのだ。

分裂とは自己の内部にあった。「記号」が私を分裂させていたのだ。分断ではない。この分裂はより深刻だ。日本語と韓国語?朝鮮語表現するときの違和感・拒否感は実は在日として生きながら韓国に行き来するうちに自己規定と分裂が始まっていたのだ。簡単に言うと僕はいつも(在日)韓国の側から(北)朝鮮を見ていた。それに立って和解・和合・平和を考えているのだった。これはどうしようもない先入観と偏見と僕に植え付けていった。

もちろん(勉強不足で不十分だが)理屈として朝鮮半島の分断や在日の分断が歴史、社会、地域のさまざまな要因で複雑に絡んでいることくらいは言える。しかし私の分裂は深刻であるのが昨日、胸に突きつけられた。楽しそうに舞台に立って踊っている朝校生をみて涙を流すのをこらえるのが精一杯だった。こう見えても僕は泣きたいときは我慢せずになくタイプだ。

なぜ涙をこらえたのかはコンサートが終わって会場を後にしながら冒頭に書いた「自己分裂」を自覚したためである。自己は主体であるのに客体として同じ在日同胞の朝鮮学校の子どもたちを眺めている自己である。

この分裂はしかし、自覚する契機を与えられたことで克服するスタートが切れるかも知れない。

昨日のモンダンヨンピルに感謝しつつ、一気に書いたので文脈が支離滅裂だが、在日という生が「生かされている」、という私の基督教信仰に又、力を与えてくれた。その機会を与えてくれた神に感謝を捧げたい。


※写真は尹 志守さんが撮影されたものです(管理人)

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